細かく行くと突っ込まれるので少し曖昧に書くが

何となく、というか会社の先輩に誘われて宗教の会合みたいなものに行ってきた。
別に某渦巻きが電波云々とかそういった類じゃない。
まぁ、いわゆる仏教の一つという奴で。


俺は百聞は一見にしかずというタイプなので、前評判やその他(とは言っても名前だけ聞いた事があるという程度だったが)を置いて行ってみた。
結論から言えば悪くは無いが、正直な所入信とかそういうのではない。
一つ言えるのが、ちょっと大きめのその宗教専門の会館で行われたのだが、そこで会社の先輩の知り合いとこういったものでとかそういう説明を聞きながら、その後30分位少し前に行われた催し物の録画を見る。
そこには当然の事ながら行けば何か貰えるとかそういう物理的なメリットは存在しなく、老若男女約300近くの人が会館でビデオを見ていた。
座敷というか、畳だったので皆座りながら何も喋らずに(俺は聞きたい事があったので小さな声で聞いていた程度)正座なり胡坐なり組んで見ている。
そこには強制されて来たというものは無く、自分の意思で来て話を聞いて帰る。
こう、何かに取り憑かれたとかそういう物は感じられなかった。
まぁ、最後は仏教らしくお経みたいなものを唱えて思い思いに撤退。


やっている事などは確かに良いと思うのだが、何かが俺の中で引っかかっているので考えてみた。
結果、俺は基本的に何かに頼る(メンタル面で)という事が欠落しているんだなと思う。
どちらかと言えば自分の事は自分でやって自分の行動に責任を持つ方だから。
果たしてその欠落が良いのか悪いのかは分からないが、彼らは宗教にすがるとかそう言うのではなく、一種の指針みたいなものだと考えているようだ。
キッカケ、と言えば何となく分かるかも。


何かに対して行動する時はまずは自分で結論を作ってみる。そこに矛盾等が無ければOKなのだが、何か不自然な点があった時に初めて聞く。そういう事を生まれてこの方殆ど、しかも重要な場面でよくやってきた。
例えば進路を決める時も自分でこういう分野に行きたい、こういう学校に行きたいと結論し、誰にも相談せずに調べたり何か行動を起こし、決まって初めて親に話す。
高校、専門、就職とそうやっていた為、何か誰かに相談するってことが俺には足りないのかもしれないなぁ。


まぁ、働き始めて一応半年オーバーしたけど、一応入社二ヶ月のペーペーとして怒られながらも働いてきた。
最近は慣れてきたのか、殆どミスも無くそつ無くこなせている方。少なくとも初めの酷い時に比べれば。


結論、何か大事な事を決める時は誰かに相談するべき。
言っている事と自分がやってきた事が全く逆だが、もしかしたら誰かに相談する事で何かしろ新しい道が開けたりする事もあったりする。
俺は知らず知らずのうちに自分の人生の道を狭めていたのかも知れないって今こうやって書いている途中に思ってしまった。