明日もこの口調だ、少なすぎる

拍手を更新した。


その違和感に気づいたのは、ある日の出来事だった。

「よっ、おはようさん」
「ああ、おはよう」
「それにしても聞いたか――、今朝駅前で大捕り物があったってーの。ニュースでやってたんだってよ」

 ?

「……」
「どうした、――?」

 ん?

 何かがおかしい。そう思った。

「まーだ寝ぼけちまっているのか?」
「そんな事は無いけど……なあ順平……」
「あっ、ワリッ、ちょっとトイレな」

 俺の質問に応対する前に順平は一階へと駆け下りて行ってしまった。

 何かがおかしい。


 一階に降りた俺は、いつものように荒垣さんが作る朝食を食べようと殆ど決まっているテーブルの席に座る。これは今までの経験からしても誰もいなくても自然とその場所に座ってしまうだろう。

「おい、――。何を食べるつもりだ?」

 そして起きる違和感。

「え、あー……荒垣さんが作るならどっちでもいいです」
「誰が俺が作ると言った? 今日は山岸が勉強と言う事で作ってい」
「あ、俺学校に行かないと遅刻しちゃう」
「待て、座れ」

 またこの人は始まった。初めは巻き添えは一人でも多くと言う感じでやっていたんだけど、今となっては素直に彼女の料理を食べて感想をもらいたいからにシフトチェンジしている。
 なんという過保護なお兄ちゃんだ。いや、お兄ちゃんというレベルではない。彼氏だ彼氏。なんでまだ告白してませんと言う関係なんだ?
 普通に考えればあれだけ中睦まじそうなのに。もっとも、荒垣さんは周囲の目とかがあるのか、俺達が見える範囲では素っ気無い態度を取るけど。

 それはともかく。

「大丈夫なんでしょうね? 主に俺の胃とか胃とか胃とか」
「安心しろ、俺は既に味見をしている」

 あんたの胃袋は知らず知らずのうちにメカ部を作りたいと過去に呟いていた山岸の手によって強化手術を受けているのかもしれません。

「はい、出来ましたよ」

 見た目普通の和食。ご飯、味噌汁、漬物、卵焼き。後はサラダといった本当に普通のもの。特にご飯を洗剤を使って洗ったと言う感じも見せなければ、卵焼きだった炭という名称に近いものも見受けられない。
 一度だけ、山岸に……というか、まだ荒垣さんからの指導を受けてなかった時に作った代物を食べ、屋上から華麗に柵を乗り越えて『僕は鳥になるんだ』と某役者のように飛び降りかけた事があった。
 寸での所でいろんな人に止められたおかげで助かったけど。それ位精神を汚染する兵器と成り果てるお弁当を無意識に作っていた彼女の天然の度合いを垣間見た。

「どうかしたんですか――君?」
「おい――、飯は出されたなら食え」

 また違和感。さっきの順平といい、何かがいつもと違っていた。
 だがその前に目の前にある見た目普通の殺戮兵器。前回も見た目はまともと言う免罪符によって擬似的薬物中毒を摂取したのだ。
 二人の無言の視線が痛い。いや、片方は食わなきゃ殺すと言うほどのものだ。ちなみにもう一人は不安そうに食べてくれないかという視線を向けている。やはり過去の事例があっただけに、多少不安なんだろう。
 仕方ないと意を決し、味噌汁に手をつける。口元へ持っていく時に香る味噌の匂いは特に問題はない。
 味わうほど余裕は無い。ただ口の中に含んだと同時に即座に胃の中へと流し込んだ。

「……おいしい」

 何ということでしょう、匠の料理は見違えるように変わっていました。
 何かがおかしい。

「おい、そりゃどういうことだ」


 山岸にしては珍しいと言うか、初となる荒垣さんの手を借りないで上手にご飯を作る事に驚きを隠さないまま食べきった俺は、嬉しくて泣きそうになった山岸を慰めている姿を見て、二つの意味でご馳走様と言ってから学校へ向かう事にする。
 悲しい事かな、順平は俺を遠めに見て、料理に一抹の不安を覚えたのか、声をかけずに行ってしまったようだ。何と友達甲斐の無い奴だ。
 ちなみに真田先輩は朝練、桐条先輩は生徒会の奴でどうとか言っていたから、放課後にでも手伝いに行くとしよう。アイギスは“妹”と一緒に先に学校に行っているし、自分の彼女も弓道部の朝練があると昨日の夕食後の雑談の時に言っていた。

 ああ、そういえば俺の代わりと言えばそうなんだが、“後輩”が一人生徒会の活動に狩り出され、朝に桐条先輩と登校していった。まだ方向音痴は治らないのかと言うか、治るものなら苦労は無い。

 ふむ、ぶっちゃけてしまえば一人ぼっちで学校だ。何と寂しい。
 と思ったら、見覚えのある半ズボンの少年を補足した。別にそういう趣味は無いのだが、何となくそれが一番ピンと来る。他にもパーカーや跳ねッ返りのある髪型の少年と言ってもいいだろうが。

「やぁ天田」
「あ、――さん、おはようございます」

 また、違和感。

「今日は結構ゆっくりと登校するんですね」
「それを言うならお前だって同じでしょ」
「それはそうなんですけどね、毎朝モノレールのラッシュに巻き込まれるのも結構厳しいんですよ」
「ああ分かる。と言うか天田ならば女性専用車両に乗ったら大変な事になりそうだな」
「ええ、大変でしたよ……」

 あったのか。しかも遠い目をするな。何があったのか容易に想像が付くからさ。

「大変ですよ、ラッシュのように見せかけて僕の太股とか触られ続けた挙句、段々ズボンにまで手を持ってかれた時の絶望感はね……」
「それ以上言うな、トラウマスイッチ踏むぞ」
「というか、こうやって話していると本当に学校に着くのって早いですよね」
「ああ、俺も初登校の時はそう思った」
「ゆかりさんと一緒に登校したんでしたっけ?」
「いや、厳密には“奴”もいたんだけど、モノレールに乗った直後に迷子になったそうだ」
「結局ポートアイランド駅から学校まで、ゆかりさんと――さんは二人で登校したと」
「しつこいぞ天田」

 確かにそうなると言えばそうなる。あの方向音痴の後輩のせいでその後しばらくの間は『心細いもう一人の転校生を放置して学園のアイドルと登校する転校生』という、なんとも嬉しいやら悲しいやらよく分からない噂が俺の周囲を駆け巡っていた。

 それでも、何かがおかしかった。


 早速教室に着くと、どうやらアイギスはメティスと一緒に何かを話しているようだ。

「おはよございます――さん」
「おはようございます」
「メティス、自分の教室には戻らないのか?」
「いえ、あの人がいる教室に行くのは嫌なものですから」
「そう言ってやるな、あいつだって別に悪い事をしている訳じゃないんだからさ」
「それはそうですけど、何故か気に食わないです」

 とことん俺と同じ日にやって来た後輩は嫌われているな。
 しかしこの姉妹、本当に人間らしい。ある意味人間臭いと言えるほどだ。

「姉さん、一つ聞いても大丈夫?」
「何かしらメティス?」
「タイが曲がっていてよ」

 それなんて某聖女様が見ている? それとその光景を見ている綾時、友近、宮本、順平、後は一年経とうと町の案内をしてくれるメガネの生徒、お前ら凝視しすぎだ。

「ところで――さん」
「なに?」
「先ほどから男子生徒の多くが私達の姿を見て前屈みになっているんですが、何があったんですか?」
「あー……知らなくていいから」

 お前ら後で処刑だ。かくゆう俺もいつものズボンに手を突っ込んでいるように見せかけて、ちゃんと前屈みになっている。
 仕方ないんだよ、男の子だもん。こんな倒錯的な姿を見せ付けられちゃ誰だって頭はワンダーランドだ。

 俺の頭もおかしかった。


 授業が終わり、いつもどおり屋上でのんびり飯を食おうと思った。悲しい事か、今日の彼女は女友達と一緒にお弁当を食べると、午前の休み時間にわざわざ伝えてくれた。
 その為に一人屋上で空を眺めながらパンを食って惰眠を貪る事にする。

 だが……。

「やぁ――君」
「お前か綾時」

 突然俺の目線を一人の人間の影が遮る。これが女子だったらスカートという素晴らしい光景が見えるのだが。
 ちなみに、一度だけ俺の彼女は無意識的にやってしまい、俺は文字通り桃源郷を垣間見た直後、顔面に靴の感触を味わった。

「もしかして女の子が立ってくれたらなとか思ってなかった?」
「何を仰るウサギさん」
「図星なんだ?」
「さすがもう一人の俺と言っても通じる友よ」

 それはつまりお互い隠し事は出来ないよねという事なのだが。
 ちなみにこの綾時君、最近は色々変わったのか、女の子を侍らすよりもとある一人の女子生徒が気にかかる模様。
 問題は今までが今までだけに、自分でもその感情の意味を理解してないという事だが。

「確かに僕もそんなシチュエーションを味わってみたいよねぇ」
「ああ、俺もだ」
「ダウト、既にそんな事なっちゃったでしょ」
「何故知っている…ハッ!?」
「はいはい釣り上げましたよと」
「畜生綾時め!」

 あれはいいものだった。あれを他の奴が経験するという事になったら、間違いなく殴る。

「それにしても――君、君はさっきから妙な違和感に苛まれてない?」
「よく分かったな、というかお前の発言からも違和感を感じる」
「ああ、それはね」

 突然綾時の表情が真面目になる。その表情たるや終わりを告げてきた12月初めの満月の時のように。

「君が――――である事が無くなったんだ」
「……綾時、今、何と?」

 その質問に綾時は曖昧な笑顔で応える。まるで俺の中の何かが変わる事を知っているように。

 そう、綾時が言った言葉はこんなものだった。


「君がキタローである事が無くなったんだ」


 放課後、俺は綾時の言った言葉の意味が分からず、仕方なしに生徒会へと行く事にする。元々忙しいからと同じ生徒会に所属する後輩の藤咲を拉致してまで、桐条先輩が立て込んでいる内容だ。
 さすがに先輩として俺も出ない訳にも行かなかった。

「今度の会議についてなんだが……――、聞いているか?」
「あ、大丈夫です。その件についてだったら俺が責任を持って取り掛かります」
「分かった。私も小田桐も別件で手が離せない以上、伏見と藤咲とお前がやってくれ」
「分かりました会長」

 その後にいつもどおり藤咲はただ頷く。まぁ、仕方ないとはいえどもちゃんと自分なりの考えに基づいてやっているんだろう。その辺りの詳しい意思疎通は伏見がやってくれるから、意外と滞りなく出来ている。
 それにしても、何と言うか奴の意思をほぼ把握出来ている人間なんて彼女位しかいないと思う。その辺りは凄いものだ。

「それでですね――先輩、藤咲君が言いたいのは……」
「ふむ」
「せっかくだから少しばかり派手な催しをした方が人心を掴むには良いだろうと言いたいそうです」

 その言葉に奴は頷く。何故だろう、通訳という言葉が頭をよぎった。

 この二人の関係性もおかしかった。


 生徒会が終わり、ちょっと用があると桐条先輩達を先に帰して俺は忘れ物を取りに戻った。残っててもらっても問題は無いのだが、その為に三人を残すわけにもいかない。

「どうした、――も残りか?」
「ああ、真田先輩」

 今日で何度目になるか分からない違和感。

「ちょっと忘れ物を。真田先輩は?」
「今しがたボクシング部が終わったところだ。せっかくだし海牛へ行って牛丼でも食べるか?」
「ああ、いいですね。ちょっと小腹も空きましたし」

 寮に帰れば夕食が待っているんだろうけど、生憎青少年の食欲は留まる事を知らないのが世の常だ。
 勿論性欲もだが、その辺りは本当にカバーしている。うん、相手の負担にならないようにするのも男の役目だ。
 そんな若さ特有の事を考えている間に海牛に着いた。ああ、いつの間にモノレールに乗ったんだろう?

「牛丼一杯」
「牛丼汁だくネギ抜き卵特盛で」
「お前中々豪勢だな!」

 それが俺のクオリティ。

 俺の胃袋もおかしかった。


 真田先輩と間食をしてから帰宅。至って普通の一日。強いて挙げるなら、朝から湧き上がる違和感。そして綾時の言葉。
 一体今日の俺に何が起きたと言うんだろうか?

「あ、お帰りなさい」

 山岸がいつものようにソファーの上でノートパソコンを弄っている。ああ、至って普通の風景。
 強いて言うなら、ソファーと山岸の間に荒垣さんが座っているカオスな空間くらいか。
 何があった。
 しかし、一瞬目を凝らした瞬間には荒垣さんはいつもどおりバーカウンターの場所で、一人カウンターに腰掛けていた。見間違えか? そうであって欲しい。

「さて、今日の夕飯だが……」
「真田先輩、牛丼を食っておいてなんですが、まだ食うんですか?」
「牛丼汁だくネギ抜き卵特盛を食ったお前に言われてたまるか」
「テメェら……少しは加減しろよ」
「今日のお夕飯はお鍋ですよ」
「お、よっしゃ。早速真田先輩と――は部屋にカバンを置いてきてから食べようぜ」

 まただった。

 そして何となく把握した。俺の違和感を。いや、気づいていても気づかなかったふりをしていたのかもしれない。


 皆が俺に対する呼称が変わっている事だ。そしてその呼び方がうまい具合に聞こえない。
 ただそれだけの事。だが何故? 何故さっきから殆ど全員がそうなっている?
 順平、荒垣先輩、山岸、天田、アイギス、メティス、綾時、桐条先輩、伏見、真田先輩。
 そのどれもが俺に対して呼び方が変わっている。勿論人間の言葉を話さないコロマルはもとより、喋れない藤咲は変わってないんだが。
 そして一つだけ気になった。

 ではゆかりはどうなんだろうか?

 そう、なんだかんだで今日は彼女と殆ど話してない。他のメンバーや人たちとはある程度話していて、俺の呼称に関しては一回は告げている。
 しかし、なんだかんだでお互い今日はそこまで話してない。
 とりあえず夕食が過ぎてから聞いてみよう。


 そして夜中。ロビーで雑談をしているゆかりにちょっと話をしてみた。当然タルタロスは今日は無い。

「なぁゆかり」
「どうしたの優也君?」

 今、何と言った?

「……ちょっといい?」
「ん?」
「いやさ……」

 歯切れが悪くなるのは仕方ない。本当に唐突だったから。

「俺の名前ってなんだっけ?」
「はぁっ!?」

 思わずゆかりは見ていた雑誌を手放し、仰天もいいところの顔で俺を見ている。

「冗談でしょ?」
「冗談じゃない。当然俺にも名前があった事は知っているし、無くちゃ困る」

 だけど、何故か俺の名前は『キタロー』ではなかったかと思ってしまう。そうすれば確かに綾時が言っていた言葉の意味が分かるから。

「いい、君の名前は鳴海優也でしょ?」


 確か俺の名前は、いや、まだ決まってなかった名前はキタローという名前だった。
 だけど、それがようやく決まったのだ。
 仮名仮名仮名仮名と呼ばれ続け、それが原因で弄られ続けた日々。
 それがやっと判明したのだ。


 では何故判明したのか?
 その答えはおのずと分かった。

 時が来たから。

 俺、鳴海優也と言う人間が名乗れる時期が来たから。

 ああ、そうか。やっと。

 やっと大手をふって自己紹介が出来る。


 初めまして鳴海君。さようならキタロー。

 順平が、山岸が、荒垣先輩が、天田が、メティスが、アイギスが、綾時が、桐条先輩が、伏見が、真田先輩が言っていた。

「優也」
「鳴海君」
「鳴海」
「鳴海さん」
「鳴海さん」
「優也さん」
「優也君」
「鳴海」
「鳴海先輩」
「鳴海」

 そして彼女が。

「優也君」

 と。

 だから改めて皆に自己紹介をしよう。

【What's your name?】

 はじめまして、月光館学園二年F組所属の特別課外活動部、通称S.E.E.S.の現場リーダーとして所属している鳴海優也です。

 今後ともよろしく。