理解されない事を理解する事は難しい

突然だが、俺の中では一応俺なりの論理に基づいて考え、行動していたり思考した結論がある事がある。
しかしこれは他の人には理解されない事が多々ある。
言葉や意味は全然違うが、分かりやすい例えとすれば『自分なりの正義』に基づいた物。
これはあくまでも自分の中でしか適応されない物であって、他人には適応されない物が殆どだ。
つまりは俺の価値観って結構独特なのだろう。
だからこそ、独特であるが故に理解されない事が多い。そりゃ当たり前だ。
今まで生きてきた中でも重大な選択の場面でそういった事が多々あったのだから尚の事理解されてない事が理解出来ている。
さてそうなると、理解されづらい事に基づいて行動している事を相手に理解させる事ほど難しいものはない。
相手に『ああ、コイツはコイツなりに合っている合ってないは別として考えた末の結論なんだな』と思わせる事だ。
そんなの難しくて当然だ。理解させるべき相手もまた自分なりの考え方を持っているのだから。


ややこしいから多少なりとも置き換えて説明しよう。
AとBがいたとする。二人はある出来事から意見の食い違いがあった。
Aはaの意見を、Bはaの意見に似ているa'の意見をそれぞれ持っている。
aの意見が広く一般的な考え――多数派だとしてa'の意見はかなり少数派だ。
Aは当然aの意見が多数派だと理解しているからこそ、Bに対してaの意見が正しいと言う。
しかしBはaの意見が多数派だと理解してながらa'の意見を持っている。


ここで一番重要なのは、決してaもa'も、『絶対的に正しい答えではない』という事。どちらも正しいが、後者は一般的ではないだけの事。
しかし民主主義の影響で多数派の意見は基本的に正しいとされる。
ここで議論になるが、当然お互いに譲れない考えの基、結論なんて付く筈がない。
Aは多数の意見があるから相手に対して攻勢に出れるし、Bは少数派だと理解しているからこそ防勢だろうと揺るがない。
まぁ、ここまで書けば分かると思うが、ここでのABにおいて俺の立場はBだ。
俺は頑固なのだろうか。
まぁそうなんだろう。んな事は分かってる。
……だが、自分の意見を変えようとしないのは正直扱いづらい人間だよな、とは、客観的に見ても思ってしまう俺がいた。
たまには自分を第三者の視点で傍観してみるのも良いかも知れないなぁ。