感情の摩天楼

告別式に行って、帰宅してから考えている事がある。
当然の事ながら会場にはすすり泣く人は結構いた。
特に遺族ーー喪主からの言葉の時にはだ。
だが、俺が遺族の立場だった時、果たして泣けるのだろうか。
親でもいい、兄弟でもいい、親いかぞくが亡くなった時、俺はどのような感情を出すのか。
今現時点で考えてみたのだが、結論は出なかった。
親戚が亡くなったのは一度や二度ではない。そりゃ二十代半ばになって誰も亡くなってないという事があれば、それは凄いことなのだろう。
しかし思い付かない。人が亡くなるなど身近であるはずなのに。


しばらくして、仮説が出てきた。
思い浮かばないのではなく、何も感じないのでは、と。
以前、誰かから「お前は感情がないからな」と言われたことを思い出した。
下手をすればそれは正しいのだろう。
俺だって笑いはする。しかし客観的に物事を視た時、何故面白いのか。それを答えられない。
言わば惰性で感情を出しているのか。或いはそう見せているのか。
どちらにせよ、主観を努めて排除しているがために、何かをどこかに置いていってしまったのかも知れない。