熱情の律動

何かが俺の中で途切れたって事は、存外に良くある。
今回はその中でも、日常に深く抉りこまれたある事に対して、完全に情熱が無くなってしまった。
その理由は俺にも説明は出来ない。
朝に目が覚めた時、もう自分はある事に対して完全に冷めてしまっていたのだ。
そのある事とは何かは野暮な事なので詳細は触れないが、どちらにせよ日常に深く関わっていた事だった。
一日最低二時間以上はそれに対して費やしてきたのだ。しかも僅かながらだがお金を使ってまで。
だが、今日になって完全にそれに対して興味が失せた。
例えるならネトゲを昨日まで廃人プレイしていたのに、突然引退するような感じ。
そんな感じだった。
所がこういう事態は俺にとっては初めてでは無い。その度に色んな人に迷惑をかけてきた事は、関係者には謝っても謝りきれないだろう。


問題はここだ。そういう事が今までにも何度もあった事なんだ。


そのある事とは、日常の中で優先度がかなり高くなっていたのは否めない。目が覚めるとすぐにそれを行うくらいの影響力を持ち、携帯から出来たから休憩中や仕事の出勤中にも行っていた。
だから困る。
それ程までに深く食い込んだものは、初めは暇があったら程度にしていた物だった。
昨日まではそれはおかしい事になっていた。


……ああ。
暇を潰す為にしていた事が、気がつけばそれの為に無理やり暇を作るようになっていたのか。
目的の為に手段として選んだはずが、気がつけば手段の為に目的を選んでいたのか。
その事実に、無意識的に気づいてしまったのか。
一番解りやすくネットゲームを思い浮かべると解るだろう。
楽しく暇を潰す為にやっていたのに、気がつけばネトゲの為に日常生活に破綻を来たす。
そんな感じに捉えたのだろう。
そうやって俺は今までも何度も自らその懸念材料から断ち斬っていたのだろうか。
それが本当かは解らない。
しかし、これが今こうして誰が見ているか分からないけど日常生活の一つとして完全に溶け込んでいるように書いている日記も、子供の頃から楽しんでいたゲームも、いつしかある日を境に情熱を持たなくなってしまうのだろうか?
そしてその事実に気づいた時、俺には何が残るのだろうか?


何も無くなった時、俺は多分躊躇無く自殺するんだろうなぁ。


物騒な話だが、自分には何も無い事、仕事して寝て仕事して休みは適当に過ごすだけの毎日なら、それは惰性で生きているのと同じなのだろうから。
そしてその惰性すら断ち斬る手段は、何もかも捨てた俺には新たな手段を見つける事は出来ないだろう。
ならば生すら断ち斬る事も、客観的に考えると有り得ない事では無いのだろう。
何をバカな事を、そう鼻で笑う人がいてもいいだろう。
しかし俺にとって有り得ないとは言い切らない。
どうしても、俺は長生き出来ない質なのだろう。そう理解した。