今から8時間近く前の去年

東日本大震災が起こった。
俺はその当日、偶然にも仕事が休みで暇を持て余していたからか、確か昼食を食べ終わってから帰宅してゲームをやっていた覚えがある。
地震と同時に家は停電し、周囲も含めて完全に広域停電だった。
ゲームを途中で終わらされた気分から、さてどうしようかと考えて、結局テレビも付かないから状況も把握できないしと、不貞寝をしていた。
本来なら、会社に連絡の一本でもしておくべきだったんだろう。まぁ、それについてとやかく言われてはいなかったので良かったのだが。
とにかく、夕方辺りに会社から安否の連絡が来て、それを答えてから、もう一度寝続けた。
勿論この頃には携帯でネットを調べればどれだけ大きな災害だったのかは分かっていた。
しかし、その一方で混乱している状況で俺に何が出来るのか分からなかった。
結果、とにかく寝続ける事にした。
幸いにも備蓄食料は当日分はあった。次の日からについては当てなど何も無い。
そして翌日の朝っぱらから、何とかして会社に来てくれと、前日大半の社会人の人がやったであろう事と真逆の事をすることに。
……電車が大幅に遅れていたとは言え、それでも生きていたことについては素直に感謝したが。


俺にとっての震災当日は、何も出来ないならと体力を温存する事を念頭に置いた一日だった。
現に翌日の出勤については疲れながら会社に行って、その状態で混乱から収まりつつあった状態で仕事をしていたのだから、尚のことしんどかった覚えがある。
とにかく、俺はこう考えてみるとまだ幸運だったんだろう。
日頃の行いがとか、そういうアホなことはのたまわない。良かろうと悪かろうと、起きる時は起きるのだ。
俺は創刊時、この1年を過ごしてきた。
この早いようで遅いような、変わったようで変わってない1年を思うと、沢山の人が涙し震え上がったこの一日は、俺にとってはそういう日でも忘れられないだろう。
知り合いでも多くの人が当日に帰宅困難者になった中、こうして停電に見舞われたが平々凡々に近い一日を過ごせたことを、感謝せねばならないだろう。
その一方で、多くの方が亡くなった事には、今日の14:46、黙祷を捧げた。


まだまだ復興とはほど遠い現状、果たしてこの国は立ち直れるのか。それは誰にも分からない。