俺の中で素面ではやってられないと思った

だからついさっき酒と少々のつまみを買いに行ってたり。
明日も仕事だが、幸いにも午後からの出勤なので今飲もうとあまり影響はない。
まずは昨日はスペース的に書けないと書いていたが、どうやらスマホだとスクロールバーが出ない関係である程度書くと後は見えないようになってしまう。
で、昨日の続きだが、爺さんの見舞いに行ってから自分でももやもやとした感情が浮かんでいた。
そりゃ、言い方は悪いが元気だった爺さんが変わり果てたすがたになっていれば少なからずともショックなのは仕方ないだろう。
しかし、俺は一緒にいた親戚のおばさんのある一言から、自分のもやもやの原因を特定させられた。


「それにしても全然変わらないねぇ。大学生と言っても違和感ないよ」


元気だったって意味で言っていたのだろう。だが、俺は別の受け取り方をしてしまった。
それは昨日の日記にも書いたとおり、俺にとっての6年と周囲にとっての6年は大きく違う事だった。
元気の象徴が病気になってやせ細り入院を余儀なくされている一方で、俺は毎日こうしてのんべんだらりと生活をしている。
では俺はこの一人暮らしをして変わったのだろうか?
答えはノー。
数年ぶりに再会した親戚がパッと見た感想で言うほどに俺は変わってない。
良くも悪くも俺は停滞している。無理矢理格好良さ気な言い回しをするとすれば、現在に生きている。
しかし未来に生きてない。
では、俺は正確な未来予想を立てているか?
例えば五年後、世の中が順調に代わり映えがなかった場合、自分はどういう生活をしているのか予想が出来るか?
十年後、二十年後。
そうして何年も経過している後の自分の姿が想像出来るのだろうか?
この前会社の偉い人と面接をした時、自分は将来どの方向性に進みたいのか聞かれた時、正直に決まってないと答えた。
そりゃそうだろう。
自分が何をしたいのか明確に分かっていないのだから。
例えば貯金をしているか。今まで色々と雑費に費やしていた事もあるが、それらを少し立ち止まって必要か考えた上で貯金に回していたら、どれだけ残っていたか。
将来を見据えた上で生活しているか。
それら疑問が、自分にのしかかった。


気がつけば俺はかなり遅い深夜にも関わらずコンビニに行って酒を買っていた。
出来れば強い方を買いたかったが、本数を重視して軽い物を数本って所にしたが。
さすがに明日も仕事なのにかなりの数は呑めないわ。
下手をすれば長くないかも知れない爺さんだが、色々と考えさせられた見舞いだった。